大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎。一家の当主として戦国乱世を生き抜いた一人の女性です。直虎が生きた時代には、大きな二つの歴史的転換点があります。「桶狭間の戦い」と「本能寺の変」。どちらも織田信長が深く関係する出来事です。この二つの出来事は直虎の人生を大きく揺さぶることになります。

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「おんな城主 直虎」で本能寺の変は出てくる?

出典:「おんな城主 直虎」公式インスタより

 

大河ドラマ「おんな城主 直虎」。戦国時代を生きた地方の武将・井伊直虎の人生が描かれます。女性でありながら一家の家督を継ぎ、時代の変化に巻き込まれていく直虎。

 

そんな大河ドラマ「おんな城主 直虎」において、織田信長は災厄の存在。直虎が女でありながら家督を継ぐことになったのは、織田信長の行動が深く関係しています。しかし、井伊家が大きくなったのも、織田信長の影響がありました。そんな直虎と織田信長の関係について紹介していこうと思います。

 

気になるのは、織田信長が明智光秀に討たれる「本能寺の変」。この出来事は「おんな城主 直虎」では描かれるのでしょうか。この記事を書いているのは2月下旬。もちろん「本能寺の変」はまだ先の出来事です。私の予想は、「おんな城主 直虎」では「本能寺の変」は出てくると思っています。本能寺の変がなくては、「おんな城主 直虎」の物語は終わることができないからです。

 

本能寺の変
1582年6月21日 明け方に起こる事件。明智光秀が謀反を起こし、自分の仕える織田信長を京都・本能寺にて襲撃。織田信長は謀反を起こされたことを知ると、自ら本能寺に火を放ち、自害した。また、織田家の嫡男であった信忠も戦ったのちに自害。勢力を拡大していた織田家は総崩れとなった。

 

織田家の崩壊により天下人となった明智光秀。しかし、その天下は長く続かない。知らせをきいた羽柴秀吉が明智光秀のもとに現れる。山崎の戦いにおいて明智光秀は討たれることになる。わずか13日の天下であった。明智光秀がなぜ謀反を起こしたのかについては、謎が多い。「日本史の謎」と呼ばれている。

 

歴史の変革点ともいえる大きな出来事。日本の歴史は本能寺の変を境に大きく方向転換を余儀なくされる。「政治的な変革を伴うもの」という意味で”変”とされている。

 

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直虎と織田信長の関係は?

 

本能寺の変で明智光秀に討たれることになる織田信長。日本史の中でも屈指の有名人です。知らない人はいないと思います。一方で井伊家の当主・井伊直虎はものすごくマイナーな武将。大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送される前の知名度はかなり低く、知る人ぞ知るという人物でした。そんな対照的な二人の接点とはなんなのでしょうか。

 

よりわかりやすくするために、直虎と織田信長の人生の年表を作ってみました。年表から直虎と織田信長の関係が伝わってくると思います。

 

井伊直虎と織田信長の年表
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  • 1534年
    織田信長が誕生。
  • 1536年
    井伊直虎が誕生。
  • 1543年
    ポルトガルより鉄砲伝来。
  • 1544年
    直満(宇梶剛士)処刑。直親(三浦春馬)逃亡。
  • 1555年
    直親(三浦春馬)が井伊谷に帰参。
  • 1560年
    桶狭間の戦いにて、織田信長が今川義元を討つ。直虎の父・直盛(杉本哲太)戦死。
  • 1561年
    直親の子・直政(菅田将暉)誕生。
  • 1562年
    直親は謀反の罪で処刑される。
  • 1565年
    直虎が井伊家当主となる。
  • 1582年
    本能寺の変。織田信長自害。
  • 1582年
    直虎死亡。直政が井伊家当主となる。

 

ざっとまとめるとこんな感じ。織田信長と井伊直虎は2歳違いなんですね。信長の方が年上です。信長が直虎の人生に深く関係してくるのは、1560年の「桶狭間の戦い」と1582年の「本能寺の変」。この二つで直虎と井伊家は未来は大きく変わります。

直虎の悲劇は織田信長がつくった

最初に紹介するのは、1560年に起こる桶狭間の戦い。織田信長が今川義元を破る戦いです。2万5千もの大軍を率いる今川軍。数で圧倒的有利だとされていますが、信長はこれを少数の部隊で撃破。今川軍を撤退に追い込みます。大将だった今川義元は討ち取られます。日本三大奇襲とされる有名な戦いで、歴史の転換点とされます。織田信長は、この戦いの勝利を契機に活動を大きくしていきます。

 

「桶狭間の戦い」に直虎はどのように関係していたのか。実は直虎の父・直盛は今川軍として参戦していました。しかも直盛は先鋒の大将とされていました。その最期はあまりに切ないものでした。直盛は討ち死にではなく、切腹で亡くなります。直盛以下、200人超の部下もほとんど全滅してしまいます。

 

直虎と井伊家にとって、最大の悲劇と言えるでしょう。当主・直盛(杉本哲太)を失った井伊家。家督は直親(三浦春馬)が継ぎます。しかしそのわずか2年後、直親は謀反の罪で処刑されてしまいます。小野政次(高橋一生)の策略だったと言われています。

 

続けて当主を失った井伊家。正統な当主は直親の子・直政(菅田将暉)。しかしまだ生まれて間もない直政に当主はつとまらない。そこで白羽の矢が立ったのが、井伊直虎(柴咲コウ)。直虎は愛する父親と元許嫁を失ったことで、当主の立場にたつことになります。

 

事の発端は「桶狭間の戦い」でした。織田信長が今川義元を討ったことで、井伊家は危機に瀕することになるのです。また、直虎が当主となるきっかけも織田信長だということができます。

 

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井伊家再興の鍵は本能寺の変?

織田信長によって、断絶の危機に瀕した井伊家。実は再興の鍵も織田信長にありました。井伊家再興の転機が訪れるのは1582年「本能寺の変」。織田信長が明智光秀に討たれる もう一つの歴史的転換点です。

 

信長と盟約を結んでいた徳川家康(阿部サダヲ)。彼は信長に会いに行くために京都に向かっていました。事件の知らせを聞き、家康は自身の拠点の三河に戻ろうとします。明智光秀軍との遭遇や落ち武者狩りを回避するためです。家康は無謀にも山の多い伊賀国を横断して拠点に帰ろうとします。「本能寺の変」の影響で家康も命の危機に瀕していたんですね。

 

家康を救ったのは、直虎の後を継いだ直政(菅田将暉)でした。伊賀国の山越えをする間中、直政は家康を守ります。家康と直政の行軍は後に「神君伊賀越え」として逸話になります。家康は命の危機を救ってくれた直政に深く感謝します。その後、直政は戦で数多くの功績をあげることになります。最終的には徳川四天王の一人となり、家康の右腕として活躍します。

 

井伊家は直政によって、再興することに成功します。この成功の裏には「本能寺の変」が深く関係していました。織田信長は井伊家断絶の危機を作った人物であり、井伊家再興のきっかけでもありました。

 

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まとめ

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎と織田信長の関係について紹介してきました。内容を3行でまとめます。

 

【3行まとめ】

  • 直虎は信長と深く関係していた
  • 井伊家断絶の危機は、織田信長がつくった
  • 井伊家再興の鍵は、本能寺の変にあり

 

最後に私の感想を書きます。信長と直虎の関係を調べてみました。知名度で言えば対照的な二人の武将。それでも直虎の人生において、信長の存在は大きい。直虎が女でありながら当主になったのも、井伊家が再興するきっかけをつくるのも全て信長です。戦国時代において信長の存在はそれほどに大きかったということだと思います。「桶狭間の戦い」と「本能寺の変」という二つの大きな歴史的転換点を経験する直虎。「おんな城主 直虎」の物語はこれからさらに面白くなっていく予感がします。

 

ちなみに「本能寺の変」で信長が亡くなった少し後に、直虎も亡くなります。直政の活躍を見届け、井伊家の未来に希望をみながら眠ったのかもしれません。

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